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花伎舞踊研究所の桜

小笠原流礼法総師範「柴咲直人」
新聞掲載の記事より
~花伎の信条~

昔々の話ですが、私が講師活動を始めたころに新聞に柴咲直人氏のコラムが掲載されました。亡き父が切り取り渡してくれました。本体は、色褪せてしまいましたが内容は、今でも私は、輝いていると思います。

ここに紹介いたします。
【良いお師匠さんの選び方】
1.出し惜しみしない人
芸事は、とかく見て覚えることが大前提です。いわゆる「師匠の芸を盗む」のが基本となります。しかし見てわからないことは「聞く」しかありません。イイお師匠さんは、まずぽんぽん回答しておいて「後は稽古で自得しなさい」という手順を踏むはず。これを「そんなことも見てなかったのか」と怒ったり、「稽古を重ねていれば自ずとわかります」と諭したりするのは、実はどちらも師匠の怠慢か勉強不足。見ているようにしむけるのが教育者としての技術ですし、効果的な技術教授を図るのが、師匠としての努力というものです。住み込みの内弟子ならば「自ずとわかる」式の仕込み方が可能ですが、大半が月謝を払って教室での「お稽古」の現在では、お稽古引き延ばし作戦だと思われても仕方ありません。初心者の疑問に、芸の「奥義」や「神髄」の核心に迫るものが少なくなかったりします。それに答えられず言を左右にするお師匠さんてけっこういたりなんかして…。
2.一見普通の人
芸を極めていくと、果てには等身大の自身に戻っていくといいます。実るほど頭の垂れる稲穂かな。ことさら「本物ぶって」みたりするのは、修行が足りない半可通の証拠。礼法のお師匠さんであるからといって、人より多くのお辞儀をしているわけでも、バカ丁寧な言葉遣いをしているわけでもありません。そこいらにいるフツーの人のようなんだけれども、どこかが違うぞ、というお師匠さんがホンモノですね。
3.大声を出さない人
内容のあることを語っていれば、他者は、口を閉じて耳を傾けます。大声をあげねば聞かせられないような内容しか語れないのは、努力不足、勉強不足。
4.感情的でない人
すぐに感情を爆発させる人は、決定的に教育に向いていません。自分の感情すらコントロールできぬ人が、他人の資質をコントロールできるわけがありません。
5.教義や家元をことさらありがたがらない人
芸事には「守・破・離」という段階があります。芸がなるにつれて、流儀の枠を破り、ついには自分なりの境地に達して離れるのです。教義や家元を神格
化してあがめているうちはそこから先に進めません。そこまでの人なのです。

以上は、あくまでも礼法のお師匠さんを探す指針です。まだ幾つもありますが、くれぐれも他のお稽古事に応用しないように。え?これでは教わる人がいない?広いニッポン、必ずぴったりの師匠がいるはずです。急いでは事をし損じる!ですよ。

以上。原文のまま記載致しました。

注意:これは、学ぶ方が心身ともに健康で、ご自身の目標・目的が明確になっている方がご自身の目標・目的達成のために選ぶ先生を探す場合だと解釈しております。

ご自身のために「注意」してくださる先生をパワハラだと考え、ご自身で「病んでる」と口に出しながら他人を誹謗中傷するような方には当てはまらないと考えておりますので、言葉じりをとらえるようなことはお控えくださいますようお願い申し上げます。

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